2013年08月11日

相手の嫌なところ

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付き合って時間が経つと、なぜか相手がムカついてくる。
相手の嫌なところが見えてきたのだろう。

付き合う前や付き合って間もないころは相手を失いたくないとの思いが強く、無我夢中だった。
いつからだろう。相手の良いところよりも悪いところを見るようになったのは。こころの中では、常に不満を抱いている。いつからだろう。相手の良いところを悪いところと見なし始めたのは。どうしてだろう。こんな自分を情けないと思うのに、湧き上がる不満を抑えれないのは。はたして、最初のころは相手に悪いところがなかったのだろうか。はじめから、悪いところに目を向けていなかったことがいけないのか。

時間とともに、相手の情報は記憶の中に蓄積されてゆく。それは、良いところも、悪いところもだ。そのとき、どうも人は、悪いところの情報量が、ある閾値を越えると無視できなくなるようだ。さらに、厄介なことに、人は悪いところが無視できなくなると、どうも良いところが見えにくくなるみたいだ。

これは、美しい花を見るのと似ている。花は、遠くから見ると美しく見えるが、近くから見ると虫がついてたり、キズや汚れが目立って見える。遠くで見るよりも、近くで見る方が見栄えが悪く見える。恋人は初めのころは花を遠くで見るのと似ており、美しくある。時間をかけ悪い情報を蓄積することは花を近くで見ることに相似している。

美しい花に虫がついているとわかれば、印象は大きく変わる。そして、その印象は致命的な傷となる。ならば、虫を取り除けばいいのかもしれない。しかし、一度ついた印象は、一筋縄では拭えない。これが記憶に長けた人の難しいところである。なら、どうすればいい。虫を葉の裏に隠すにも、虫は動きまわる。いずれは見つかってしまうだろう。荒療治として殺虫剤を用いて虫を駆除するのもいいだろう。しかし、合理性を求めた結果は、環境を汚染し、かえって悪い結果になるかもしれない。

虫はそこまで悪いものだろうか。虫があって花は美しさを保てるのではなかろうか。虫の死骸が花の栄養となる。虫によって、受粉が成される。虫はどうも悪いものでもなさそうだ。私たちの先入観が、虫を悪いものとしているみたいだ。寧ろ、虫は花の美しさに十分貢献している。

殺虫剤を用いて悪いところがなくなったらどうなるだろう。それと対称的な良いところとは何になるのだろうか。良いと悪いは常に相補しあっている。悪いところをなくすことは良いところを無くすことを意味する。悪いところは、虫と同様、良いところの栄養となっていると言えそうだ。

悪いところは良いところのためにある。そう考えることこそ、美しい花の本当の姿を知ってなお、一層美しく見えるコツではなかろうか。
ラベル: 嫌い 悪い 良い
posted by 猪瀬歩夢 at 15:57| 愛媛 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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