2014年11月27日

思考は思考を鈍らせる

人は思考する生き物。勉強すればするほど、賢くなればなるほど、思考の深みが増していく。その鍛錬された思考によって、数多の発明、そして発展が生まれる。人間固有の技術は思考無くして進化することはなかった。


しかし、思考は思考を鈍らせる。その思考は固定概念というものだ。深みある思考は、さも唯一無二の思考であるかのような錯覚を引き起こす。この錯覚は自惚れである。自分が苦労の末得た思考なのだから、そう簡単には崩すことはできない、という訳だ。確かに、苦労の上に立つ思考を崩すとなると、これまでの苦労を無にすることと等価であるように感じる。そう、これは「もったいない」という心境である。


思考の深みが増すごとに、誰もが到底達することのない悟りのような境地に到達することもあるだろう。だがしかし、そこに達する人はほんの一握りである。では悟りの境地に達せない人間の共通点は何か。それは「自惚れ」であろう。深みある思考を得たことに満足し、それ以上の進歩が望めない状態にあるのだ。この状態は堅い人に多いと思う。堅い人間は柔軟性に乏しい。思考は飽和し、思考パターンの多様性が非常に乏しくある。


思考する人は容易にこのような落とし穴にはまり、はまってしまえば抜け出すのは至難を極める。これが悟りの境地に到達する人が少ない所以である。悟りの境地まで到達するか否かは、思考が飽和することなく、ものごとを柔軟に受け入れれる習慣があるかにかかっている。思考が思考を鈍らせないためにも、型にはまらない、多様な思考ができるようになることが望ましい。まあ、容易ではないだろう。人は経験を活かしてことに臨むのだから、前例にこだわるのは無理もない。


しかし、過去の状況と今現在とが全く同じであるということは確実にありえない。そこに、気づかなければ、いつまで経っても穴にはまったままである。そこで、自分に染みついた思考に縛られない方法として、一つアイディアがある。それは思考をいったん物置にでもしまっておいて、自分の直感に頼ってみる、ということである。思考を深めた人間は直感的な行動をすることに恐怖を感じる傾向にある。思考有きの行動では、思考が自分を慰める儀式であるため、儀式なしで行動するときの心もとなくなるこの心境を理解することはそこまで難しくはないはずだ。


だが、思考を深めることと直感的な行動は両立することが可能である。直感的に行動すれば、何かしらの結果が得られ、その結果を深みある思考によって是正すれば、直感的な行動と思考は両立している、ということになる。落とし穴にはまった人間(すなわち直感が鍛錬されていない人)は思考が先にきて、そのあとに行動を起こすため、行動までに時間がかかってしまう。他者からものを言われ、自分の思考が追い付かない場合であっても、思考しなければならないという制約があるがために、直感的に判断できず身動きが取れない時間が生じてしまう。この時、あせった人の取る行動は一貫して決まっている。それは他者の意見を無視するか、否定するかだ。そうしなければその窮地を時間内に抜け出せないのだから。無視と否定は一見すると直感的反応と思われるかもしれないが、単純にその状況から抜け出したいという拒絶反応に過ぎない。


一方、直感を鍛錬した人間は、判断に時間はほとんど要さない。そのため、思考に使う容量を別の領域に使うことができる。それは、状況把握の領域である。


限られた時間内に状況を把握し、思考し、判断するのであれば、思考に時間を取られ、状況把握を蔑ろにする。状況把握を蔑ろにすれば、誤った状況を基に、思考を構築するのだから、誤った判断に至るのは必然的であろう。では、状況把握を的確にすればいいのかというと、そうとは限らない。時間に余裕があるときはそれでもいいが、現場ではノータイムで判断しなければならないことがほとんどだ。すなわち、状況→思考→判断のプロセスは、現場ではとても使いものにならない。したがって、状況→判断→思考という直感と思考を両立させたほうが妥当であると考えられる。


これからは直感の重要性を意識してみるのも悪くない。

ラベル:思考 直感
posted by 猪瀬歩夢 at 18:38| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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