2017年07月21日

馬鹿の美化

馬鹿とは悪か?
馬と鹿は立派な動物なのに・・・
馬鹿とは何か?無知であることだろう。
そうであっても馬鹿のイメージが悪いことに甚だ疑問を抱く。

馬鹿は特権だと思う。みんなもうちょっと馬鹿であることに誇りを持つべきだ。大半の人が馬鹿であることに恥じ、馬鹿であることをやめている。
人間賢くある必要は無いように思える。そもそも他人に賢く見せる、見られる必要はあるのか。人の賢さなんて、局所的に過ぎず知らないことが大半だ。専門とか、得意とかから距離を置いたら、その場所ではだれもが素人のはずだ。要するに大半の領域で無知なのだから森羅万象を母数として平均的に各個人を観測していくと、人間みんな馬鹿に分類されることに気づく。

馬鹿な人間を愚かだというのであれば、俯瞰的に物事を見れていない。自分が馬鹿に分類されていることを知らずに。これこそ愚かな人間に他ならない。愚かな人間は馬鹿の知が著しく欠乏している。馬鹿を否定できる次元にすら立てていない。1次元世界の住人が、3次元物体を観測するようなものである。1次元住人は3次元物体が横切っても、点の消滅としか認識できない。その認識をもって全を理解したような気になっているようなものだ。愚かな人間であることは、自分を差し置いて他者を愚かだと蔑み自分の正しさを疑わない人間であることの必要条件だ。

吾々は馬鹿であるという認識が常識でなければならない。このことをあなたが受け入れれるのであれば、賢く見せる努力をすることは不合理であることに気付くであろう。賢く見せて、評価されて何を得るのだろうか。名声?自尊心?こんなの得たところで、自分の能力が向上することはない。形而上で且つ実体のないものを得たところで、自己成長には全く持って繋がらないことを考えればこのことは自明。なので寧ろかえって、愚かな人間に映りやすい。なぜなら、賢く見せようとすると、無知であることを知られたくない心理が働く。すると、知らないことを聞けなくなる。以降、知識のインプットが抑制される。それが続くと、思考が表面的になり中身のない結論しか出せなくなる。こんな人間を、多少の知見がある他者が観察すれば、中身がない浅い思考回路であることに気づくことは容易であろう。

一方で、馬鹿であることを恥じない人間は、他人からの評価を気にすることは少ない。なぜなら、馬鹿だという自負があれば、自尊心が傷つく要素を持ち合わせないからだ。何でも聞ける。無敵の状態である。そして、馬鹿であると理解した人間が成長することに貪欲であるのならば、知識は日々増える一方である。以上の馬鹿であることの中に、能ある鷹は爪を隠すことの本質的な意味が秘められているように感じる。能ある鷹は馬鹿であることを理解し、馬鹿であるが故に学ぶことに貪欲であるが、自分を馬鹿と思っているので賢く見せようともしない。これを見た他者の目には、必然、爪を隠しているように映る。よって馬鹿は鷹である。
このことが、馬鹿と天才は紙一重だと言われてる真の理由であると私は考えている。

故に、天才になる近道は馬鹿になることである、ということに馬鹿は気づいたであろう。
ラベル:天才 愚か
posted by 猪瀬歩夢 at 23:02| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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