2017年06月27日

世界の創造主

わたしの世界

状況を把握する、ものごとを考える、判断して行動する、なにかを感じる、直感的な思考、
これらは全て自分の脳によって行われる。
ひとは皆、他人の脳を使って直接的に思考することは、まずない。

自分が想像できるできないに関わらず自ら発するすべての事象は
必ず自分の脳というフィルターを通して処理されたものである。

即ち、誰もが平等にオリジナルの世界を所有していることになる。
他者からの影響の大小に関わらず、必ず確実に例外なく、我々人間は、自分の脳で、
世界をとらえ、理解し、その中で生きている。

上に従うと、世界とは自分由来であることは自明の理であり、
自分の脳にある情報量とその組み合わせによって世界を創造しているといえる。

よって、世界とは各個の想いと考えから構築されており、
「世界とはわたしだ」と言っても十分によい。
世界を認識しているのは他でもない私であり、複数の脳を接続する技術のない現在では
他人の脳は直接介入していないのだから。
他人からの影響度は自分の世界観で決まるので、決して矛盾など生じてはいない。

世界は私が創り上げており、その創り上げた世界はわたしでもある。
生きている中でのすべての事象は自分の脳が意識無意識の中で
認識しうるものに限られ、知っていることだけが世界である。

この世はわたしの世界であるのであれば、この世界の神とはわたしのことである。

ではわたしの世界での背景に当たる、その他の物体とは何であるのか。
物理現象に縛られたその他のオプションの、わたしの世界との位置関係はなんなのか。
神であるわたしの世界での人生が思い通りにいかないのはなぜなのか。

この疑問に答えるのなら、知っていることだけの世界だからだ。
すべて知りえないわたしの世界では、知らない事象からもたらされる不確定要素が、
思い通りにいかない要因であると言える。
故に、全知が得られたのならば疑問が生じることない。

全とは過不足なくという意味である。
このことはわたしの世界が全の中の部分であることを意味する。

だが、部分であることに悲観するのは甚だ思慮が浅い。
疑問が生じる、つじつまの合わない等の、不確定要素78%の世界だからこそ、
好奇心という名の快楽が得られる。

言いたいことは沢山あるが
何はともあれ、世界がわたしのものであるという事実は変わりえない。

以下余白










ラベル:世界 創造主
posted by 猪瀬歩夢 at 23:00| 京都 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月30日

私は不死の可能性を有している

私とは何か

私は脳で思考している。
脳は私か
MECEを活用せずとも抜け漏れがあるのは自明

脳とそれ以外の体を形成する有機物で抜け漏れはないはず

脳と外部情報を受信するその他有機物。
細かく言えば生命維持等の器官とかに細分できるが無視

脳だけでは外部情報がインプットされないので記憶ゼロスタートであれば、
思考不可となる。

これを考えれば外部情報を受信するその他有機物は非常に重要だ。

情報は視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚 的な感覚で受信している。
受信した情報を蓄積し、蓄積した情報を組み合わせ、思考を成す。

私は脳とそれに接続したその他有機物で思考をしている。
なら、私は脳とそれに接続したその他有機物で思考している人に属した生き物と結論

では、私が死ぬとは何か。
死ぬとは自分を形成する有機物クラスターがゲシュタルト崩壊したようなものか
そうなったら、んー要は生命機能が停止し朽ちたら、思考できなくなるのか。
このことは脳とは量子コンピュータ的なものと仮定した場合、
生涯蓄積した量子化した情報は消滅するということになるか

量子もつれで情報はテレポートするらしい。
量子もつれにある対を無限遠に引き離したとして、
一方の情報を読み取る、同時にもう一方の情報も決定する。

何が言いたい。
私の脳の記憶、即ち量子化情報(状態)と量子もつれにあるもう一方が
どこにあるかわかっていない今現在、(そもそもそんなのがない可能性もある)
あらゆる可能性が考えられる。

世界は私の情報と思考で形成している。
有機物が消滅しても、情報がどこかへテレポートする可能性がある以上、
私が死ぬと私を形成する有機物の消滅が等価であると結論することは難しい。
死ねば量子テレポートにより私の記憶情報が他の有機媒体に転移するかもしれない。

要は
私が死ぬとは私の有する情報の消滅である。

ただ、この結論は私の死を完璧に断言するのは多世界解釈的に難しく、
所謂、「一般的な死後」の世界の可能性を示唆しているものである。

ラベル:もつれ 量子 情報
posted by 猪瀬歩夢 at 00:25| 京都 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月20日

人生得する人の特性


A氏:

私は今、上司X氏から説明を受けている。

「この上司、説明長くて、鬱陶しい上司だな」と眉をひそめる。


一方、B氏:

私は今、上司X氏から説明を受けている。

「この上司、丁寧に説明してくれていい上司だな」と胸を熱くする。


よくある話ではあるけれども、上記は同じ事象に遭遇した場合であっても、とらえ方は大別して二分される。ここで重要なのは上司Xの説明は相手を理解させるのに必要な情報を適切に提示しているため話が長くなるということである。


A氏とB氏どちらが人生で得するのか疑問に思わないだろうか。私の独断と偏見から結論を導き出そうと思う。

@ A氏はいうなれば人の悪いところを見るタイプ⇒ネガティブ観察型(N型)とする

A B氏は対称に人の良いところを見るタイプ⇒ポジティブ観察型(P型)とする


ではN型とP型について考えていく。

まず、N型は他者の悪いところを糧に自分を高める性質をもつ。要は相手を悪く見ることで自己否定を回避し、優位な心理的立場を維持する。このようなタイプは、自分より優位な人間を恐れ、その人を避ける、拒否する、否定する傾向にある。そのため、自分より才能の高い人間からの吸収は望めない。

また、悪いところを見るのに優れているので、賢い人間であれば、他者を反面教師と捉え、自分の行動に制限を課し、己の欠点を最小限に抑えることが可能だ。


次に、P型は相手の良いところを糧に自分を高める性質をもつ。このタイプは自分より才能の高い人間から吸収しようとするため、自分の才能の領域を拡大することができる。


以上より、N型は自己保守性が強いと言え、一方でP型は自己改変性が強いと言える。


従って、N型とP型のどちらが得するかという議論は、自己保守性か自己改変性のどちらが得かという議論に置き換えることができる。


自己保守性が強いタイプは自分が絶対的であるかのように錯覚し、自分を疑わない。そのため、問題があれば基本的に他人に原因があると考える。対して評価されるようなことがあれば、自分のお陰であると主張するだろう。

一方で、自己改変性の強いタイプは自分より他者が優れていると考え、問題が起こればまず自分に原因があると考える。評価されれば他人がいてこその評価であると謙遜する。


この文章を書いているだけで自己保守性の強いタイプに対して嫌悪を抱くのだが。

まず、自己保守性タイプの成長曲線はせいぜい√Xだと思う。成長の傾きが負である理由は外から影響因子は近似的に0であり、自分の中にあるものだけを繋ぎあわせようとするためである。

そして、このタイプは自己中心的、利己的に見え周囲から距離を置かれ成果への相乗効果は見込めない。すなわち成果は自己の能力と等価である。


対する自己改変はこの逆で成長曲線はX^2であり、成果に対しては自分の能力に周囲からの相乗効果が加味され、指数関数となる。


みなまで言わなくても結論は自己改変性のP型が得するタイプである。


うん、P型に幸あれ

ラベル:人生
posted by 猪瀬歩夢 at 22:31| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月13日

私の世界の危機


私の世界

山あり谷ありの環境であっても平和だった私の世界

最近やたら攻撃を受けている。たった一機の戦闘機にだ。
たかが一機に揺さぶられる私の世界。
こんなに弱かったのかと急いで地を固めるが間に合わない。
戦闘機は実弾等で攻撃はしないが、領空侵犯等の嫌がらせを随時行う。
警告を出しても嫌がらせは一定時間とまらない。
嫌がらせに飽きると戦闘機は自己中心的かつ友好的に接っしてくる。
対応に困惑する毎日である。




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ラベル:危機 世界
posted by 猪瀬歩夢 at 21:04| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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