2016年10月11日

トラウマ以外に嫌いなものは本当に存在するのか。


特技は何。と聞かれ、
今はありませんと一拍おいて答えた。

それでは好きなことは何か。と聞かれれば、
アニメ、漫画、哲学、宇宙学、量子学、相対性理論、もしくは現実離れした未知の何かと答えよう。

好きなこととは何ですか。と聞かれれば、
興味があることと答えよう。

興味とはなんですか。と聞かれれば、
自発的に吸い寄せられる現象もしくは物事だと、言葉に詰まりながら答えるだろう。

興味があるとあなたはどうなるのですか。聞かれれば、
興味があることを趣味として実践するようになると、鬱陶しさを覚えながら答えるにちがいない。

私の心境を察した上で、以上の事から結論を述べよ。と恐喝されれば、
しぶしぶ、「自発的に脳内に保存される好奇心を抱く知識全般に付随する体系が興味であり、興味に対する知識を好きなことと認識し、それを主体的に取り入れようとしている現象そのものが趣味である。趣味を極めたものが特技かな。」
と、まとまりのない文章で答える。

この結論をなにか発展できないか、考える心的余裕が生まれたので、以下でやってみる。

まず思考の起点として、好奇心について考えよう。
知的好奇心には全ての知は含まれていないように感じる。
なぜなら、好きなことに対称的な嫌いなことは脳が自発的にその情報の流入を拒否する。
さらに、興味がもてないことに好奇心なんて生まれない。
言ってしまえば、好奇心を感じない物事なんて、正直つまらないのだからみなまで言わなくても
当たり前である。これが、直感的な発言であるは流しておこう。

では、次に何が好き嫌いのトリガーになっているかについて考えるてみよう。
好きなことに付随する情報は脳へ貯蔵しやすく、脳からの放出もしやすいと経験則的に理解される。
ここで、この情報の出し入れの易さは何が決めているのかについて、脳の記憶システムに照らしながら、
考えてみる。脳科学によると海馬や側頭葉にある神経細胞同士の接続パターンが記憶であり、関連性の強い記憶の神経細胞は複数の同じ神経細胞を共有しているらしい。いや、記憶Aの接続パターンと記憶Bの接続パターンが繋がり記憶Cという神経細胞のネットワークが構築され関連性が強固になり、強く記憶されると表現した方が正しいか。このように、情報を強く記憶するまたは記憶し続けるには、神経細胞同士のネットワークが重要であることは理解できるであろう。また、神経細胞のネットワークが小さければ、思い出すという行為も難しいのは確率論で考えれば、分かるだろう。したがって、脳内の神経細胞のネットワークが情報の出し入れのしやすさを決めている。すなわち、巨大または強固なネットワークに関連した情報であるほど、好きな情報に分類されるのだと言えるのではないかと考える。
以上より、好き嫌いのトリガーとは既存の繋がりのある知(に関連するか否か)であると考える。

この好き嫌いのトリガーが既存の知であるならば、それ以前の知はどうなのか。という疑問が生まれる。
知の原点はこの世に生を受けたときからである。補足をしておくが、印象の強い未知の事柄に関しては本能的に記憶は活性化される。この状態が、幼い時はより顕著ということだ。この幼い時に記憶した知の傾向が、将来の好き嫌いを左右すると考えられる。

ここまで述べてきたことは、裏を返せば嫌いなことは好きにすることができるということだ。
好きという感情は既存の繋がりあり知の量とその関連性に指数関数的に比例するのだから、嫌いなことや無関心なことに対して知を増やし、それら知のネットワークを構築すれば好きという感情が生まれる。ただ、苦汁を飲む努力は必要だ。

人間の脳は、ある情報に対してそれを知っていれば関連する既存の知が自発的に想起され、一方で既存の知に関連性の強い未知の情報であればそこに結びつくように記憶される。容易に知を引き出せ、さらに容易に関連する情報を記憶できる事柄に対して、嫌いという概念はトラウマを除けば存在しない。

以上をまとめると、、知を増やすことで好きという感情を創造し、そこから派生する興味を発展させ趣味とし、さらに極めると特技になる。
知を増やすことを意図的にできれば、好きなことなんて無限に作れるということである。

知の数で焼失するようなトラウマ以外の嫌いという感情は錯覚であり見かけ上の感情に等しい。

posted by 猪瀬歩夢 at 23:46| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月28日

時間の取り扱い

桜が咲き始め、
もう1年経つのかと。

時間が絶対的でないのは知っていたが。
時間が経つのは早い。

時間は光速という絶対的基準で定義されており、
重力とかが時間を変動させる因子であると言われているが、
人としての常識的、はたまた生理的感覚に訴えてみると
重力云々は本当に正しいのかと違和感が残る。


意図的にすくい取った記憶を観察しても、
時間が長く感じる時もあれば、短くなる時もある。
この経験からいうに、
退屈な時は重力が増えるのか、と誤った結論に
着地しかねない。”相対性”理論の本質を理解していれば、
こんな結論には絶対に至らないのだが。。

話はそれたが、時間の伸縮性は
生理的感覚に訴えてみると確かに存在する。
生理的立場で見れば物理的時間の概念を疑わずにはいられない。

だが、ちょっと考えると生理的な時間の感覚には欠点があることに気づく。
それは時間の伸縮性は過去の記憶を基にした感覚であるという点だ。

今、この瞬間瞬間からは、時間の伸縮性を説明することができない。
すなわち、過去の記憶を繋ぎあわせた一本の経験を基に時間の伸縮性は
生理的感覚によって説明されるのだ。

記憶ほど、信頼に値しないものはない。
記憶ほど絶対でないのだから。
頭の中に蓄えられた記憶は、
書き換えられるし、消去される。誇張されるし、矮小もされる。
脳みその好き放題にされた記憶を基に時間を語るのは危ういと気づく。

したがって、生理的感覚での時間の伸縮性は錯覚であると言わざるを得ない。

記憶の貯蔵のされ方で、時間感覚は変動するが、
実際の時間は伸縮していないと考えるのがよい。
なので、生理的感覚の違いで他者から時間的に取り残される心配はいらないので
安心してほしい。

しかし、光速近くまで加速運動をするときや、
強い重力場付近で遊ぶときは時間的に取り残される恐れがあるので注意して頂きたい。


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ラベル:時間
posted by 猪瀬歩夢 at 23:45| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月11日

みんなと一緒

ここはどこだろう。

不意にそう思うことはないだろうか。
私だけか?

・・・いや、記憶喪失ではない。

私がおかしいのか。
いや、みんながおかしいのだ。

みんな現実を意図的に見たことはあるか。

みんなこの世界を見慣れてるせいで、意識してみることはできていないだろう。
たぶん

意識して周りを見てみると、ここどこだ?という感覚に囚われる。
そもそもこの世界ってなんだ。とも思う。

別に現実逃避している訳ではない。
ただただ疑問なのだ。

ただただ不気味なのだ。
この世があるという現実。

この世が存在する理由も根拠も分かってないのに。。
このことになんの疑心も抱かず、ごく自然に生活している。

やっぱり、みんながおかしいんじゃないか。
違和感だらけだ。この世の中は

みんなマインドコントロールされてるんじゃないか。
幼いころから違和感だらけの世の中にさらされているせいで、
自然とこの世に洗脳されているのだよ。

だけど、この世の存在に疑心を抱いたところで、
なんの不自由もないし、メリットもない。

ただ、なんとなく疑問に思っただけ。
そして明日から、再びみんなと一緒
ラベル:みんな
posted by 猪瀬歩夢 at 23:54| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月22日

自分への疑心


あゝー 

自分の才能のなさに落胆せざるを得ない。

ここまで、能力がないのかと自分の力なさに危機感を覚える。

しかし、なにもやる気にならない。

本来なら、自己啓発で己を高めて、周りに気づかれないように、

差をつけようとするところなのだが。。

頭が回らない。頭を使っても使ったと思えるほどの、結果にならない。

頭がさえない。何とか振り絞るまではいかないが、相応にやってるつもりではあるが、

全てが中途半端な結果に収束する。平凡以下の自分。。

戦うフィールドが変わるとここまで、力がないのかと己自身の力に不安を感じる。

今まで築きあげてきた哲学が根底から崩れていく。

くそ!

でも、自分の可能性への希望は捨ててはいない。
まだ、今があるのだから、未来がある。
未来は未知なのだからあらゆる可能性がある。
その中で、素晴らしい可能性を信じてみようと思う。

今とこれからの試練で、耐え難い相当なものが来ると思うが、それでもなお、
自分を信じぬこうと思う。


あの日の約束を果たすために。

ラベル:自分 疑心
posted by 猪瀬歩夢 at 23:50| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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