2016年03月28日

時間の取り扱い

桜が咲き始め、
もう1年経つのかと。

時間が絶対的でないのは知っていたが。
時間が経つのは早い。

時間は光速という絶対的基準で定義されており、
重力とかが時間を変動させる因子であると言われているが、
人としての常識的、はたまた生理的感覚に訴えてみると
重力云々は本当に正しいのかと違和感が残る。


意図的にすくい取った記憶を観察しても、
時間が長く感じる時もあれば、短くなる時もある。
この経験からいうに、
退屈な時は重力が増えるのか、と誤った結論に
着地しかねない。”相対性”理論の本質を理解していれば、
こんな結論には絶対に至らないのだが。。

話はそれたが、時間の伸縮性は
生理的感覚に訴えてみると確かに存在する。
生理的立場で見れば物理的時間の概念を疑わずにはいられない。

だが、ちょっと考えると生理的な時間の感覚には欠点があることに気づく。
それは時間の伸縮性は過去の記憶を基にした感覚であるという点だ。

今、この瞬間瞬間からは、時間の伸縮性を説明することができない。
すなわち、過去の記憶を繋ぎあわせた一本の経験を基に時間の伸縮性は
生理的感覚によって説明されるのだ。

記憶ほど、信頼に値しないものはない。
記憶ほど絶対でないのだから。
頭の中に蓄えられた記憶は、
書き換えられるし、消去される。誇張されるし、矮小もされる。
脳みその好き放題にされた記憶を基に時間を語るのは危ういと気づく。

したがって、生理的感覚での時間の伸縮性は錯覚であると言わざるを得ない。

記憶の貯蔵のされ方で、時間感覚は変動するが、
実際の時間は伸縮していないと考えるのがよい。
なので、生理的感覚の違いで他者から時間的に取り残される心配はいらないので
安心してほしい。

しかし、光速近くまで加速運動をするときや、
強い重力場付近で遊ぶときは時間的に取り残される恐れがあるので注意して頂きたい。


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ラベル:時間
posted by 猪瀬歩夢 at 23:45| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月11日

みんなと一緒

ここはどこだろう。

不意にそう思うことはないだろうか。
私だけか?

・・・いや、記憶喪失ではない。

私がおかしいのか。
いや、みんながおかしいのだ。

みんな現実を意図的に見たことはあるか。

みんなこの世界を見慣れてるせいで、意識してみることはできていないだろう。
たぶん

意識して周りを見てみると、ここどこだ?という感覚に囚われる。
そもそもこの世界ってなんだ。とも思う。

別に現実逃避している訳ではない。
ただただ疑問なのだ。

ただただ不気味なのだ。
この世があるという現実。

この世が存在する理由も根拠も分かってないのに。。
このことになんの疑心も抱かず、ごく自然に生活している。

やっぱり、みんながおかしいんじゃないか。
違和感だらけだ。この世の中は

みんなマインドコントロールされてるんじゃないか。
幼いころから違和感だらけの世の中にさらされているせいで、
自然とこの世に洗脳されているのだよ。

だけど、この世の存在に疑心を抱いたところで、
なんの不自由もないし、メリットもない。

ただ、なんとなく疑問に思っただけ。
そして明日から、再びみんなと一緒
ラベル:みんな
posted by 猪瀬歩夢 at 23:54| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月22日

自分への疑心


あゝー 

自分の才能のなさに落胆せざるを得ない。

ここまで、能力がないのかと自分の力なさに危機感を覚える。

しかし、なにもやる気にならない。

本来なら、自己啓発で己を高めて、周りに気づかれないように、

差をつけようとするところなのだが。。

頭が回らない。頭を使っても使ったと思えるほどの、結果にならない。

頭がさえない。何とか振り絞るまではいかないが、相応にやってるつもりではあるが、

全てが中途半端な結果に収束する。平凡以下の自分。。

戦うフィールドが変わるとここまで、力がないのかと己自身の力に不安を感じる。

今まで築きあげてきた哲学が根底から崩れていく。

くそ!

でも、自分の可能性への希望は捨ててはいない。
まだ、今があるのだから、未来がある。
未来は未知なのだからあらゆる可能性がある。
その中で、素晴らしい可能性を信じてみようと思う。

今とこれからの試練で、耐え難い相当なものが来ると思うが、それでもなお、
自分を信じぬこうと思う。


あの日の約束を果たすために。

ラベル:自分 疑心
posted by 猪瀬歩夢 at 23:50| 京都 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月22日

生の解

生とは思考か

生きてやがて死に逝く我が人生。

生の意味を考える。

生の意味が分かると同時に、死後の意味も分かるような気がするからだ。

生きる意味は生きているから考えることができる。

死ねば生の意味なんて無意味になる。

なるほど、生きている内に考えねばならない、生の意味。

では、生とはどういう意味か。

生物学的知見はどうでもよくって、哲学的に考えると、

生とは、生きてると実感し、それを認識することが可能である今という不連続かつ刹那な瞬間瞬間を慣性の法則により幅を持った時間まで繋ぎ合せた時空内で思考することだと一般的に思わないか。

思考なければ、生とは何かという謎すら生まれてこない。思考無き世界では、生の意味は消滅する。

思考していても、生きていると実感できなければ、生は感じない。すなわち、生を有していないことになる。

生物学的に生きている人間であればどんな状況であれ、意識すれば生を感じることはできる。

このことから、人間において、思考可能ならば、生を有していると言える。

よって、生は思考と考える。


以上、Q.E.D.

ラベル: 生きる
posted by 猪瀬歩夢 at 00:07| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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