2014年11月08日

芯のない人間のゆく末

芯がない。

芯のない鉛筆はただの木片だ。

では、芯のない人間は。


まあ、ただの人間だろう。


ただの人間で満足してはいけない。ただの人間とは人間に属しているというだけで個は尊重されていないのだから。虫や鳥、草木などの動植物の各々の個を尊重することはほとんどない。個を有すると自覚できるのは人と人とが作用し合い、互いに個を認め合っているからである。


このような個の強さは人それぞれで大小が異なる。個が強い人もいれば、個が弱い人もいる。個が限りなく弱ければ、その人は実際に存在してはいるが、他者から見れば赤の他人同様、ただの人間である。このとき個としては尊重されていない。


個の強さは何で決まるのか。それは各個人の芯の強さであろう。芯がなければ個はなく、ただの人間である。芯があって初めて他者から個が尊重されるのだ。ではその芯はどうすれば強くなるのか。


芯は、他者に共感してばかりいては弱くなり、やがて朽ち果ててしまう。すなわち、芯を強くするには他人の意見に共感してばかりいてはいけない。これまでのすべての経験(勉強も含む)を踏まえて得た、自己流の考えをもつことこそ、芯の強さであろう。この考えだけは譲れない、というようなスタンスでなければ、周りと同化しやがて個を無くす。


しかし、「芯が強くても周囲の人と協調することは可能である」ということには留意すべきだ。ただ、協調は表面的な相互作用であるため、芯の強弱に対して瞬間かつ直接的に影響を及ぼすことはない。しかし、持続的な協調においては、芯は打たれ弱い性質を持つ。なので、大したことのない事柄に関しては他者に意見を譲って共感しておけばいいのである(共感したふり)。そして、ここぞという時に、又はこれだけは譲れないという時に、自分の意見を発すればいい。そうすれば集団で孤立することなく芯の強い個を維持できるという訳である。


芯のないただの人間は無難であるが、なぜ自分がこの世で生を受けたのかの意味付けをする上では心もとないであろう。生きてる理由なんて、人間という集合体や地球規模、はたまた宇宙規模で考えたのなら特に意味などないであろう。しかし、我々個人には思考という能力が全ての人間に平等に与えられているのだから、個の思考により個の人生の意味付けをすることは可能である。個人の人生の意味付けは、芯がなければ絶対に達成できないであろう。なぜなら、芯は個を創り、個の思考により、オリジナルの世界観を創り、やがてその世界観が人生の意味付けを達成させるからである。


形ある物体はマクロの視点で見れば1つの物であるが、ミクロの視点で見れば多数の原子からなる集合体である。人間という枠組みも同様、マクロの視点ではただの人間であるが、ミクロな視点で個の集合体である。我々各個の視点は主にミクロ的視点であり、面識のない人の集合体を見たとき時、マクロな視点に切り替わる。しかし、一方で自分自身の事は、特殊な修行をしない限りは必ずミクロな視点で見ている。すなわち、自分自身の事は個として確かに認識しているのだ。


自分の個は確実に己自身で認識してはいるが、他者が自分を個として認識しなければ、自分の個としての認識が薄れ、やがて己自身の個すら無関心になる。己自身の個に興味がなくなれば、マクロの視点に切り替わり、己をただの人間としか認識しなくなる。これが上述してきた芯のない状態である。芯のない状態とは自分の人生に意味を見い出せない状態であり、これほど、生を受けた人間として不幸なことはあるまい。


そう、自分の人生の意味を見出すことこそ幸せだったと確信できる答えだからである。
posted by 猪瀬歩夢 at 20:15| 京都 | Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月07日

愚かな女

私は思う


あゝ、なんと愚かな女だと…。

え?愚かな女とはどんな女かって?

解りました。愚かな女について教えましょう。


私の言う愚かとは勉強ができないとか、知識がないとか、そういった学生時代でいう馬鹿を示している訳ではない。私の言う愚かな女とは、自分の身を守る術を知らない無知な女すべてを指す。


今現在生きている以上は、自分の身は自己責任下で守るのは当たり前であり、自然なことであるはずだ。しかし、今現在、この世に生息する人間の女性はどれだけ自分の身を守る術を知っているのだろうか。

知らないでは、許されない。起こって後悔するのは目に見えているのだから、起こる前に身を守る術を身につけるべきであろう。


愚かな女の中には、男が私を守ってくれるから大丈夫と愚を極めた思考をするアホがいる。男がその女性から年中無休、目を外さずに見守ることはできるのかと、声を大にして叫びたくなる。男にも限界があるのだよ。だって、人間だもん。


無知の知とはよくいったものだ。自分が無知であることをまずは知らなければなるまい。このネット社会、プライバシーの意識は十分に薄れている。Facebook、ツイッター等の需要が高まるにつれ、寧ろ自ら進んで個人情報を全世界に向けて開示する傾向にある。しかし、自分のプライバシーを守ることは、自分を守ることと等価であるという意識が非常に薄い。自分の顔、名前、場所が特定されるだけで、様々な事件に巻き込まれる可能性が飛躍的に高くなることを一部の人間は知らない。このような人間は愚かだ。知ってなお、何かしらの対策をしているのなら別であるが、何の対策もせずに自分の顔、名前、場所をネットを通じて堂々と公開している人の心理的状況は異常と言わざるを得ない。


こういう、愚かな女は鈍感であるのは言うまでもなく、隙が星の数ほど多いのだから、犯罪心理の持ち主が狙うとしたら、こういう女を狙うのが妥当であろう。すべての女性に今一度自分に問うて頂きたいのは、自分の身は自分で守る意識があるかどうかだ。


男として、好きな女性を守りたいのは本能だ。だがしかし、その女性をすべてから守りきれると言えるほど、自惚れてはいない。すべてから守れないのが現実だ。だから、せめて、男の目の届かないところでは、しっかりと女性自身で自分の身を案じてほしいと思うのは我が儘なのだろうか。好きな女性を傷つけられた男は、やるせない気持ちでいっぱいだろう。男は女性を目の届くところに常にいるよう強制はできないのだから。


せめて、付き合う女性は、自分の身は自分で守れる人間であってほしいと願う自分がここにいた。




タグ: 愚かな女
posted by 猪瀬歩夢 at 21:30| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月06日

こころの矛盾

人肌が寂しくなる今日この頃。

誰かいい人はいないかと、目に映る女性に期待を抱く。
しかし、女性に声をかける勇気はない。
声をかけるほどの人がいないということなのかと、
またいつもの上から目線でいる自分に呆れる自分。
そんなことだから機会を逃すのだと自責の念にかられる今日この頃。

私にはいつも抱いている願望がある。
女性から声をかけられることだ。
さらにはその女性がど真ん中のタイプであることを。

だがしかしだ。
見ず知らずの男性に声をかける女性はと考えると矛盾が生ずる。
自分の理想の女性は純粋清楚だ。
そこらの男性にホイホイ声をかける女性など理想に反する。

ならどうしたいのかと考える。
私は理系男子。
やはり、付き合うまでのプロセスに美意識がある。
苦労せずに手に入れる女性など…
でも、苦労せずにかわいい女性と付き合いたい。

こころはいつも矛盾だらけ。
理論なんて適用できない。
人間は不合理な生き物なのだから。
タグ:非合理 矛盾
posted by 猪瀬歩夢 at 16:08| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月04日

草食系男子と肉食系男子の相違点

私は草食系男子である。草食系男子と肉食系男子の性質の違いに、同じ男なのにと驚かずにはいられない。私は草食系男子と肉食系男子の性質の違いは、理系と文系の人の性質の違いに類似しているのではないかと考えた。

それではまず、草食系男子と肉食系男子の違いについて考えてみる。草食系は好きな女性がいてもすぐには行動することはない。なので、草食系は絶好の機会を逃すことが多く、彼女ができにくい傾向にある。対する肉食系は思い立ったら即行動、この姿勢から察するに後先はさほど考えていない直感タイプのように思う。このような肉食系男子の行動力にはいつも頭が上がらない。(ただし、ここでは女性に興味を示さない集団を男には含めない。すなわち、女性に興味を持たない人は草食系男子には分類されないということである。)

ここで、草食系男子が好きな女性がいるのにも関わらず、なかなか行動に移せない理由について考えてみる。草食系はチキンであるため行動に移せないのだと言われれば、あながち間違ではないと思うが、その理由で片付けられるのは少々粗末に思える。なぜならば、チキンとは視点を変えれば慎重であるということになるからだ。チキンは言い方を変えれば怖がり屋であるが、恐いと思うことは生きる上で重要なことである。恐怖心がなければ、人間早死にすることは言うまでもないだろう。恐怖心があるからこそ危機を回避することができるのだから、恐怖心は生物にとって重要な本能である。この恐怖心を抱くか抱かないかが行動力に関わってくるのだ。すなわち、好きな女性に対してアプローチしカップルとして成立するまでにかかる時間はこの恐怖心の度合いに依存するものと推測できる。(ここで恐怖と不安は同じものとする)なお時間がかかるほど草食系男子としての傾向は強いと思われる。

では、好きな女性に対してアプローチすることと、告白することのどこに恐怖心を抱くのかについて掘り進めてみる。一般的な思考では好きな女性とは結ばれたいと想うため、それとは逆の事柄に付随したものが恐怖心を誘発する原因であるといえる。好きな相手にアプローチすることで避けられてしまうのではないか、嫌われてしまうのではないか、または親しい関係が告白することによって崩壊してしまうのではないか、と思考を巡らせたりもする。このような「恐怖心をあおる思考」は草食系の一部の性質であるともいえる。

他方、行動力がある肉食系男子は、思い立ったら即行動タイプであるため、直感的に行動する傾向にあることは上でも述べた。よって、これらのことから草食系は行動よりも思考が先に起こり、肉食系は思考よりも先に行動が起こるという様に分類できると考えられる。この分類から、草食系と肉食系の相違点は理系と文系の相違点と類似しているように思える。

草食系は理系的性質が強く、逆に肉食系は文系的性質が強いのではないかと考えた。文系的性質はどちらかというと直感的であり、いろいろな辻褄を合わせてを理論を組み立てるということはあまりしないであろう。それに対して理系は念入りに理論を組み立てる傾向があるため、答えを出すには時間がかかる。このような傾向から理系には考えるという癖があるが、文系には考える癖が理系と比べるといくらか弱いと考えられる。

理系的性質から見えてくる人物像は、思考をする癖があるのだから行動よりも先に思考をする傾向にあると推測できる。行動に起こすには何かしらの答えを出さなければならない。その答えを基に行動するのだから。しかし答えを出すためには、そこに至るまでの情報を収集しなければならないため、行動までには相応の時間がかかってしまうということになる。

このような理系文系の性質を恋愛と関連させたならば、理系男子は好きな女性に対しては、まずその女性が自分のことを恋愛対象として見ているかどうかについて答えを出さなければならない性であろう。相手の自分に対する想いを聞く(すなわちほぼ告白する)ことは一番答えを知る上で、手っ取り早い方法であるが、その「行動」をするためにはまずリスクについて考えるのが理系男子だ。情報がほとんどない中で、好きな女性の自分に対する気持ちを聞き出すということは50%の確率で自分が傷つくのであるから、リスクの面で得策とは言い切れない。もう少し安全であるかどうかの確率を上げるためには情報が必要となってくる。情報とは好きな女性の言動を日々観察することで得られるのだから、情報収集に時間がかかるのは明白だ。すなわち理系男子は恋愛において告白するまでに時間を要する傾向にあると思われる。さらに、理系男子は答えを出すまでのプロセスを楽しむ傾向にあるため、時間をかけることは苦にはならないし、寧ろ告白するまでに時間を掛けることを望んでいるようにさえ感じる。

また、この女性で後悔しないのかについても答えを欲する人もいるであろう。このことから、理系男子は傍から見れば恋愛に積極的でないように見えるため、告白までに時間を費やす草食系男子と相違ない。すなわち、理系男子は草食系男子のことである。

草食系男子は女性に告白するまでに長い時間を費やす男であると定義するならば、草食系を作り上げているのは理系的性質そのものである。したがって、他方の肉食系男子は文系であると言える。




posted by 猪瀬歩夢 at 18:38| 京都 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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